2007年07月11日

【宮崎駿作品シリーズ】宮崎駿さんが監督した長編アニメーションや短編アニメーションの作品を紹介します。

監督作品

長編アニメーション映画

1979年 ルパン三世 カリオストロの城(脚本)
『ルパン三世 カリオストロの城』は、漫画家モンキー・パンチ原作の人気アニメ『ルパン三世』の劇場映画第二作で、宮崎駿が初めて監督を務めた劇場映画である。

あらすじ世界的な怪盗ルパン三世と相棒の次元大介は、モナコの国営カジノの大金庫から売り上げ金をどっさり盗み出すことにまんまと成功。追っ手をかわして車で逃走していた。車内で札束に埋もれた二人(よく見ると後部座席に石川五ェ門が埋もれている)は浮かれていたが、ふと盗んだ札束に目を落としたルパンはあることに気がつく。

その札束は精巧に作られた偽札だった。そうと分かるや否や、二人は札束を惜しげもなく道路に撒き散らす。ルパン家の家訓で、贋物に手を出してはならないからであった。さて、その偽札の名はゴート札。史上最も精巧な出来を誇る幻の偽札で、『本物以上』とまで呼ばれた代物であり、ヨーロッパにある独立国家カリオストロ公国に絡んだものであった。そこでルパンは、次の仕事としてゴート札の秘密を暴くことを選ぶ。

二人は身元を偽って一見のどかな小国カリオストロ公国に入国するが、路上で純白のウェディングドレスを身につけた少女が悪漢に追われているのに行き会う。そこで二人は車で追跡し、見事悪漢を撃退する(このカーチェイスは後記の通りスティーブン・スピルバーグも大絶賛している)。そして、少女を助けようとするがゴート文字の入った指輪を残し少女は別の連中に連れ去られた。少女はカリオストロ公国大公家の継承者、クラリス・ド・カリオストロ(クラリス姫)であった。現在の公国は大公の急逝に伴い、ラサール・ド・カリオストロ伯爵を摂政としてたてており、大公位は空位となっていた。

カリオストロ公国の実質的な統治者となっている伯爵はクラリスを妻として迎えることで大公位を得て、公国を名実共に手に入れ、公国の独裁を狙っていた。再びとらわれの身となったクラリスは、伯爵の居城であるカリオストロ城に閉じ込められてしまう。ルパンは彼女を救出するため、石川五ヱ門を呼び寄せるが、ルパンが伯爵の元へ送った予告状のことを聞きつけた銭形警部も、警官隊(なぜか埼玉県警察の機動隊)を引き連れてやってくる。

すでに召使いとして城内に潜入していた峰不二子も含めて、ルパンファミリーが全員集合。カリオストロ城を舞台に、クラリス姫の救出とゴート札の謎をめぐって大混戦が展開される…



1984年 風の谷のナウシカ(原作・脚本)
1986年 天空の城ラピュタ(原作・脚本)
1988年 となりのトトロ(原作・脚本)
1989年 魔女の宅急便(脚本・プロデューサー)
1992年 紅の豚(原作・脚本)
1997年 もののけ姫(原作・脚本)
2001年 千と千尋の神隠し(原作・脚本)
2004年 ハウルの動く城(脚本)
2008年 崖の上のポニョ(原作・脚本)(2008年夏公開予定)



短編アニメーション映画

1995年 On Your Mark〜ジブリ実験劇場(原作・脚本)
2001年 フィルムぐるぐる(絵コンテ)
2001年 くじらとり(脚本)
2002年 コロの大さんぽ(原作・脚本)
2002年 めいとこねこバス(原作・脚本・トトロ役)
2002年 空想の空飛ぶ機械達(原作・脚本・ナレーション)
2006年 水グモもんもん(原作・脚本)
2006年 星をかった日(脚本)
2006年 やどさがし(原作・脚本)



テレビアニメーション

1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ)(第4話以降のAプロ演出グループ名義のモノ)
1978年 未来少年コナン
1980年 ルパン三世 (TV第2シリーズ)
第145話「死の翼アルバトロス」(照樹務名義)
第155話「さらば愛しきルパンよ」(照樹務名義)
1985年 名探偵ホームズ
第3話「小さなマーサの大事件!?」
第4話「ミセス・ハドソン人質事件」
第5話「青い紅玉」
第9話「海底の財宝」
第10話「ドーバー海峡の大空中戦!」
第11話「ねらわれた巨大貯金箱」


参加作品


劇場用アニメーション映画1963年 わんわん忠臣蔵(動画)
1965年 ガリバーの宇宙旅行(動画・原画)
1968年 太陽の王子 ホルスの大冒険 (場面設計・原画)
1969年 長靴をはいた猫(原画)
1969年 空飛ぶゆうれい船(原画)
1971年 どうぶつ宝島(アイデア構成・原画)
1971年 アリババと40匹の盗賊(原画)
1972年 パンダコパンダ(原案・脚本・場面設定・原画)
1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美術設定・画面構成・原画)
1977年 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)
1982年 コブラ(原画)
1987年 柳川掘割物語(製作)*実写
1991年 おもひでぽろぽろ(製作プロデューサー)
1994年 平成狸合戦ぽんぽこ(企画)
1995年 耳をすませば(脚本・絵コンテ・製作プロデューサー。一部演出も)
2002年 猫の恩返し(企画)
2006年 ゲド戦記(原案)

テレビアニメーション
1963年 狼少年ケン(動画)
1964年 少年忍者風のフジ丸(原画)
1965年 ハッスルパンチ(原画)
1966年 レインボー戦隊ロビン(作画)
1966年 魔法使いサリー(作画)
1969年 ひみつのアッコちゃん(作画)
1969年 ムーミン(原画)
1971年 さるとびエッちゃん(作画)
1972年 赤胴鈴之助(26、27、41話の絵コンテ)(原画)(設定)
1973年 荒野の少年イサム(原画)(設定)
1973年 侍ジャイアンツ(原画)
1974年 アルプスの少女ハイジ(場面設定・画面構成・原画・エンディング作画)
1975年 フランダースの犬(原画)
1976年 母を訪ねて三千里(場面設定・画面構成・作画・エンディング作画)
1977年 あらいぐまラスカル(原画)
1979年 赤毛のアン(場面設定・画面構成)(1〜15話まで)
1980年 鉄人28号(原画)
1982年 怪傑ゾロ(原画)



その他の作品

漫画・絵物語など

長靴をはいた猫

砂漠の民(秋津三朗名義)
どうぶつ宝島
妹へ(「宮崎駿・大塚康生の世界」に収録)
風の谷のナウシカ(全七巻)
宮崎駿イメージボード集
シュナの旅
「風の谷のナウシカ」−宮崎駿水彩画集
宮崎駿の雑想ノート
飛行艇時代
泥まみれの虎 宮崎駿の妄想ノート
ハンスの帰還
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2007年07月08日

【宮崎駿 シリーズ】NHK初のテレビアニメシリーズ『未来少年コナン』は、宮崎駿の作品だった

宮崎駿は動画、原画、場面設計、画面構成、レイアウト等、業界の作画畑を長年に渡って歩んできた宮崎だが、『このままレイアウトを続けるか、アニメから足を洗うか』とまで考える折、本格的演出デビューの話が来る。NHK初のテレビアニメシリーズ『未来少年コナン』である。持ち前の高度な作家性を発揮し、原作を大幅に改変したオリジナルストーリーを展開し好評を得る。通常テレビシリーズでは数人の絵コンテマン・演出家でスケジュールをローテーションさせるが、同作の場合は数回の例外を除いたほぼ全話を演出・作画チェックした。集権的作家的スタイルは、この時すでに出来上がっていた。

その後テレコム・アニメーションフィルムに移籍し、先輩大塚康夫の力添えによって『ルパン三世 カリオストロの城』で映画監督デビュー。同作は業界関係者やコアなアニメファンからは熱狂的に支持されも、SFアニメ全盛の時代に合わず興行的に振るわなかった。宮崎が作家として社会認知を得るまでには至らず、逆に、有り体に言えば干されてしまった。

アメリカに渡り、大塚康生や高畑勲らとともに日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に携わったが、企画への疑問から降板。この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』などの原型となる企画を構想しているが実現には至らなかった。しかしコナンの時より宮崎に注目していた徳間書店の『アニメージュ』誌編集長尾形英夫が、自社イベントの為の特別短編アニメ企画を彼にもちかける。これがのちに『風の谷のナウシカ』として開花する。企画は短編の筈だったが次第に拡大していった為、「原作付き企画」のハクをつけるべく『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。尾形の尽力によって、当時映画事業に意欲的だった徳間書店の徳間康快社長(当時)が劇場アニメ化を決断。宮崎の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプロジェクトが結成され、1984年にアニメ映画として製作・公開される。映画『風の谷のナウシカ』は、『ルパン三世 カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟って大ヒットとなり、作家としての宮崎駿が広く認知されることとなった。『鈴木敏夫』はこの時から携わっていた『アニメージュ』編集部員であった。


『未来少年コナン』(みらいしょうねんこなん)は、1978年4月4日から10月31日にかけて、毎週火曜19時30分から20時00分までNHKで放映されたアニメ作品である。

放映話数は全26話。制作会社は日本アニメーション。一部の世界名作劇場作品と同様に宮崎駿(演出・キャラクターデザイン・絵コンテ他)、高畑勲(絵コンテ他)、富野喜幸(絵コンテ)らが参加している。



NHKにとって初めての日本製アニメ番組であり(それ以前も外国産アニメの放送は断続的にあり、また当時のみんなのうたもアニメを駆使していたが)、当然期待も高かったが、視聴率は振るわなかった。ある資料によると関東地区で平均8%だったという。 原因は以下が考えられる。

NHKの夜7時30分枠は、元は大人向け番組の枠(かつお堅い番組)だった。(この枠の火曜日7時30分の場合、開始直前には、NHKの特派員による外信報道番組「特派員報告」を放送していた)1978年4月の番組改定で連日ファミリー向け娯楽番組が放送されるようになったが、アニメなどはっきり子供向けの番組はこの枠だけだった。
NHKを主に見る子供およびその世帯では、当時は午後6時台が子供向け番組時間帯という認識で、その枠の番組群が子供向け番組とされた(1978年4月の場合、「600 こちら情報部」と、人形劇「紅孔雀」)。特に人形劇枠の人気が高く、そうした子供・世帯にとってアニメはなじみにくかった可能性が高い。
本放送のうち少なくとも1回は選挙の為に8:30pmから放送された事があり、認知が低かったことは事実である。
当作品は、SFメカアクションものに属するといえるが、民放の同ジャンル作品では当時はスポンサーに玩具メーカーが入っていることが多く、本編に前後してそのCMが放映された。それがないことに違和感を感じた子供も多かったようである。
強力な裏番組の存在もあった。「それは秘密です!!」(日本テレビ)、「ぴったし カン・カン」(TBS)(ここまで火曜日7:30枠)、「クイズグランプリ」および「スター千一夜」(フジテレビ)(ここまで平日7:30枠)、およびプロ野球中継などスポーツ中継が主な裏番組であった。いずれも大人向けまたはファミリー向け番組だったが、世帯にテレビ1台の時代、子供にチャンネル権のあまり与えられない時間帯と言える。なお、アニメの裏番組では、「女王陛下のプティアンジェ」および「星の王子さま」が朝日放送制作・テレビ朝日系で放映されていた。特に後者はジャンル的にも競合しうるが、視聴率を食い合うほどの人気番組ではなかった。
ただし、NHKは積極的に当番組をPRしていたようである。それは、NHK受信料領収の際、子供のいそうな世帯向けには、同作品のシールを渡した(同時期の民放アニメでスポンサー商品の景品の影響)ことにも現れている。
当時は子供よりもむしろ、作品の深く広い世界観やメカニック考証などに感慨を覚えた中高生など比較的高い年齢層(第一次アニメブームの代表的世代)にコアなファンを獲得した。
本放送時、第3話でジムシーとコナンがタバタバ(タバコ)を吸うシーンがカットされた。この事は後に宮崎駿がインタビューで語った文章があることから確認できる。

未来少年コナンのストーリー
コナンが活躍する舞台は、戦争でそれまで築かれてきた高度な文明が破壊され、中世段階まで後退した世界である。コナンの世界で文明らしさを代表するものとしてインダストリアの三角塔が登場するが、人間が生んだ愚かなものの象徴として、この作品のテーマとかぶってくることになる。人間はなぜ生きるのか?人間にとって真の豊かさ、幸せとはどんな形なのか?という永遠のテーマを観る者にさりげなく投げかけてくる。

最終戦争で滅亡しかけた地球。でも、そんな地球の片隅には、戦争の暗い影を引きずることなく逞しく生きる子がいた。自然の中で育まれ、生きる希望と幸せ、夢を持つ子、コナンがある事件をきっかけにそれまで未知であった大海原へ旅立ち、彼は冒険の最中、様々な出来事に遭遇する。友情、憎しみ、裏切り、愛、出会いの数々..


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2007年07月06日

【宮崎駿 シリーズ】『風の谷のナウシカ』は、徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』に連載された宮崎駿の漫画、および劇場アニメ化作品


『風の谷のナウシカ』は、徳間書店のアニメ情報誌『アニメージュ』に連載された宮崎駿の漫画、および劇場アニメ化作品である。 1984年の劇場上映時、同時上映作品は『名探偵ホームズ(短編2作品:青い紅玉(ルビー)の巻、海底の財宝の巻)』である。

作品の概要

極限まで科学技術が発展した人類の引き起こした「火の七日間」と呼ばれる最終戦争により高度産業文明が滅び、千年余りが経過した未来が舞台となる。古の産業物の遺跡を発掘し利用しつつも、人びとの生活様式は基本的に中世に近い水準となっている。瘴気(有毒ガス)が充満する「腐海」と呼ばれる森の表面積は確実に拡大しつつ、かつそこに棲む巨大で獰猛な蟲(むし)に、人びとは脅やかされながらも逞しく生きている。

主人公ナウシカは、腐海のほとりにある辺境の小国「風の谷」の族長の娘である。本作品では、腐海や蟲たちが存在する理由を見抜いていたナウシカが、過酷な運命に翻弄されながらさまざまな人びとと出会い、艱難辛苦を重ねて成長し、自分自身と世界の運命、太古より繰り返されて来た人の業とも呼べる営みに向き合い、彼女なりに折り合いをつけていこうとする姿が描かれていく。

漫画作品のアニメージュ誌上での連載は、中断期間を含め1982年から1994年まで実に13年に渡った。多忙を極めた宮崎駿が連載を維持するために、鉛筆で書かれたまま作品化されている回もある。

漫画の全7巻分のうち、映画版ナウシカに対応するのはその1巻目から2巻目の途中までに過ぎず、内容もかなり異なる。最大の違いは、大国トルメキアと対立する土鬼諸侯連合(ドルク)が映画には登場しない点である。大国同士の不毛な戦争に主人公たちやさまざまな立場の民族が巻き込まれ、人間が飽きることなく滅びの道を歩むストーリーが漫画の骨子であり、これの無い映画版は全くの別ものと見ることもできる。また映画版では主人公が救世主的キャラクターとして描かれるが、漫画版では救世主であることを否定する展開を見せ、物語の結末では前文明が残した「救世のシステム」を破壊するという驚くべき選択をおこなった。連載終了後、主人公ナウシカの最後の行動の是非を巡る議論がおこり[1]、今に至るも決着を見ていない。このように、物語後半で自然と科学技術という単純な二項対立の構図が変化するなど、物語のテーマが大きく変わっていった背景には、ソ連崩壊に伴う東西冷戦終結など実際の時代背景が大きく変化していった影響が大きいことを宮崎本人が当時のインタビューで明かしている。

自然と科学技術の対立、文明の破壊と再生はいくつかの宮崎駿作品に通底する主題であるが、本作品もそれを直接取り上げたものの一つである。本作品は、いわゆる環境問題を扱っていると見ることもできるが、自然や生き物を実は人間の都合の良いように「保護」しようとすることの傲慢さに対する批判を読み取ることもできる(アニメでは人智を越えた亜神のごとき存在として描かれる王蟲(オーム)さえもが、漫画版では実は人工生物であることを明かされるなどは、その一例である)。

ナウシカのモデルとして宮崎駿が言及しているのは、日本の古典文学である堤中納言物語に登場する「虫愛づる姫君」(この「虫愛づる姫君」は後の映画「もののけ姫」の題材ともなっている)であり、その名前は、ギリシア神話に登場する王女ナウシカアに由来する(オデュッセウスの項目を参照)[2]。また青衣の民のモデルはサハラ砂漠のトゥアレグ民である。

物語の舞台としては、「風の谷はパキスタンのフンザをモデルにしている」とか「オーストラリアのウルル(エアーズロック周辺)が舞台」という説もあるが、スタジオジブリのホームページや関連書籍などにその類の記述は一切なく、噂話・ネタ話の域を脱し得ない。実際には、宮崎の関心が高かった中央アジアや中東、独ソ戦などの要素をいろいろ混ぜ込んでいるのだろう。自身でコメントしたのは、『風の谷のナウシカ 宮崎駿水彩画集』で、ウクライナ・クリミア半島のシュワ―ジュが腐海のモデルだと言及しただけである。

ルネ・ラルーのアニメ映画『ファンタスティック・プラネット(LA PLANETE SAUVAGE)』(1973年)や、宮崎自身がファンだという漫画家・諸星大二郎の影響も指摘されるが、そのオリジナリティは高く評価され、漫画版は第23回日本漫画家協会賞の大賞を、アニメ版も各賞を受賞した。

漫画は、8ヶ国語で翻訳・発売されている。




年代設定

極限まで科学技術が発展した人類の引き起こした「火の7日間」と呼ばれる最終戦争により、文明が滅びた後千年余りが経過した未来の地球が舞台となる。漫画版の解説を引用すると以下のようになる。

ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は数百年のうちに全世界に広まり巨大産業社会を形成するに至った。大地の富をうばいとり大気をけがし、生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は1000年後に絶頂期に達しやがて急激な衰退をむかえることになった。『火の7日間』と呼ばれる戦争によって都市群は有毒物質をまき散らして崩壊し、複雑高度化した技術体系は失われ地表のほとんどは不毛の地と化したのである。その後産業文明は再建されることなく永いたそがれの時代を人類は生きることになった。

イギリスにおける産業革命の開始は18世紀の出来事であり、世界規模での巨大産業社会の形成はそれから数百年後の我々が住む20世紀〜21世紀である事が読み取れる。産業文明の絶頂と「火の7日間」による崩壊は、産業革命の千年後であり28世紀頃と想像される。それから千年余り経過した当該作品の年代設定は西暦3800年当たりと思われ、現在から約1800年後の遠未来である。原作では巨神兵に漢字の商標があった事から、中国か日本が巨神兵の建造に関わっていた可能性があるが、漢字のように見える別言語の可能性や謎の言語をあえて漢字として表記した可能性もある。

人々の生活様式は、最終戦争以前の高度産業文明の産物を発掘し利用しつつも、基本的には中世を彷彿とさせる水準にまで退行している。

(原)は原作に登場,(映)は映画版に登場 を意味する。
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2007年07月05日

【宮崎駿 シリーズ】「となりのトトロ」という名前は「所沢のお化け」に由来している


「となりのトトロ」での作中におけるユニークな逸話

* 「トトロ」の名前は「所沢のお化け」に由来している。宮崎監督の知り合いの女の子が「ところざわ」がうまく発音できず、「とろろざわ」と言っていたことから「トトロ」という名前が生まれたと監督自身が語っている。

* 劇中で、メイが「トトロに会った」ことを話した際、さつきが、「トトロって、絵本に出ていたトロルのこと?」と尋ねているが、エンドロール中、サツキとメイがお母さんに布団の中で読んでもらっている絵本の表紙には「三匹のやぎ」と題名が書いてあり、橋を渡る白いヤギと真っ黒な怪物が描かれていることから、さつきの言っていた「絵本」とは「三匹の山羊のがらがらどん」であると想像できる。

* 設定が1950年代のため、始めの部分でオート三輪が登場する。また、バスに車掌が乗車しているのもこの時代ならではである。オート三輪は、形状やバーハンドル、ドアがない点などから極初期のダイハツミゼット(DK型)であると思われる。ただDK型の乗車定員は一名なのでお父さんがどこに座っているのかは不明である。

* サツキ(皐月)、メイ(May)ともに「5月」を表す名前である。ちなみにオープニングが終わってすぐの、本編の最初のBGMのタイトルも「五月の村」であり、作品中前半の季節も五月となっている。

* お父さんのモデルは考古学者の戸沢充則。

* 草壁家のある「松郷」は、所沢市に実在する地名である(所沢市の東部、浦和所沢バイパス松郷交差点付近、最寄り駅は武蔵野線の東所沢駅、西武バス[所59]「エスシティ所沢〜車検場前〜東所沢駅〜所沢駅東口」の所沢車検場前バス停付近)。また、サツキとメイの母親が入院している病院のある「七国山」は、所沢市の隣である東京都東村山市にある八国山が由来。「七国山病院」のモデルは八国山に隣接する保生園(現新山手病院)である。

* 草壁家の住所は、電報の字から見るかぎり、「クスノキトナリ」となっている。

* 登場キャラクターの「ススワタリ」は『千と千尋の神隠し』にも同じ役で出演しているが、『千と千尋の神隠し』に出ているススワタリには足がある。なお、初期設定では『となりのトトロ』のススワタリにも足があった。

* 作中の冒頭、サツキとメイが引越し荷物を載せたトラックの荷台に乗っている時、近くを走っていた自転車に乗った男性を警察官だと思って隠れるというシーンがあるが、二人が隠れたのは荷台に乗る行為が道路交通法第55条に抵触するからであるとされる。但し、道路交通法の施行は1960年で今作品設定の2年後であり、また第55条では貨物を積載している車の場合、その荷物を守るため最小限度の人数ならば荷台に乗っても良い事になっている。

* メイが迷子になって皆が捜索を行っている際に、急を告げるカンタが自転車に乗っていた乗り方が「三角乗り」。この当時子供用自転車というのはほとんど無く、子供達は大人が使うガッシリした自転車のフレームの間に足を突っ込んで、自転車を斜めに傾けて走らせていた。またこの時代の自転車はほぼ実用車であり、ダイヤモンドフレーム、ロッドブレーキ、砲弾型の前照灯などが特徴である。

* 最後のシーンで「サツキとメイに影がない」ことについて、都市伝説として「トトロは死神でサツキとメイは死んでいる」という噂が流布している。これについて、スタジオジブリがブログで「サツキとメイの影は省略しただけなので、トトロは死神でもないしサツキとメイは死んでいない」と一蹴した。

* 初期の設定では、大トトロは「ミミンズク」で1302歳、中トトロは「ズク」で679歳 、小トトロは「ミン」で109歳。

* もともとはサツキとメイにあたる主人公は一人の設定で、サツキとメイを足して2で割ったような姿の「メイ」という5歳の女の子だった。


その他 参考

* 1988年4月16日に東宝系で日本公開されている。観客動員数は約80万人。英語版でのタイトルはMy Neighbor Totoro。封切り時の併映は高畑勲監督作品『火垂るの墓』だった。本作に続いて『火垂るの墓』を見た観客の多くが、あまりのムードの落差にショックを受け、苦情が多く寄せられている。

* 宮崎は天空の城ラピュタ公開直後の1986年11月に「トトロ」の企画書を提出している。その時点では60分の中編映画として企画されている。制作企画会議において、昭和30年代の貧しい時代のお化けを題材にしているという理由から制作承認を得られなかったが、『火垂るの墓』と2本立てで再度企画にかけられた。「トトロ」は徳間書店、「火垂るの墓」は文庫本の版元である新潮社がそれぞれ出資する形で製作が決定する。
* おとうさん役(草壁タツオ役)は当初俳優のイッセー尾形のところにオファーが来たのだが、イッセー尾形の事務所スタッフが糸井重里の方が適任だと紹介し、結果糸井がキャスティングされることになったのだという。

* トトロの絵は、魔女の宅急便以降、スタジオジブリのシンボルマークとしても使われている。

* 日テレ「金曜ロードショー」では1989年以降、ほぼ2年に1度(夏が多い)放映されており、視聴率は毎回23%前後を記録する。

* オープニング主題歌の「さんぽ」は現在では童謡曲の定番として、広く歌われている。

* 2001年9月28日に発売されたDVDは2005年10月31日付オリコンDVDチャートで200週チャートインという記録を達成。さらに記録更新中である。

* 2002年には、番外編的な作品である『めいとこねこバス』が三鷹の森ジブリ美術館で公開された。

* 宮崎監督の初期の参加作品『パンダコパンダ』が本作の原型であると言われている。

* この作品に登場した「草壁家」が、2005年開催の「愛・地球博」において「サツキとメイの家」として再現され、長久手会場に建設された。好評により博覧会終了後も保存され、現在も見学できる。(要予約)

* 大分県佐伯市宇目の轟地区に、大分バス「ととろ」バス停(佐伯−木浦線)がある。いつしかトトロを彷彿させるその名称が注目され、ねこバスやトトロの人形・手書きパネルが人知れず置かれるようになる。2000年に新聞報道されてから、この「ととろの里」[4]は、旧宇目町の人気観光地のひとつとなった。近年、人形やパネル等が増えすぎたため、その多くはバス停近隣に整備された小公園「トトロの森」に移され、バス停に残る大型のパネルはトトロとサツキ&メイのもののみとなった。

* 山形県最上郡鮭川村小杉には、トトロにそっくりな形をした「小杉の大杉」がある。藩政時代からの由緒ある木であり、夫婦で見ると子宝が授かると言われている。

* 日経リサーチが2004年12月27日に発表した「タレント・キャラクターイメージ調査」において、トトロが好意度ランキングで第2位に選ばれた。

* 2006年に米国で発売されたDVDでは、英語音声の吹き替えが新たに行われており、ともに子役俳優であり実姉妹のダコタ・ファニングとエル・ファニングが、サツキとメイの声を演じている。

* この作品にも参加した、当時スタジオジブリにいた木原浩勝の著書の実話怪談集「新・耳・袋」に山の中にバスが走ってきて、見送ると狐がバスに化けていたというネコバスの元になったような話が収録されている。

* なお、日本神話では「轟(ととろ)」と言う、山の神が伝えられている。元ネタになったかどうかは不明。

* 「さつきとメイの影が途中から無くなっている」、「トトロは冥界の使者」、「さつきとメイは途中で本当は死んでしまったのだが、それを父親が、もしも姉妹が生きていたらと思って書いたのがとなりのトトロである」といった話が巷に流布しているが、これは「となりのトトロ」というあまりに有名な作品から生まれたパロディとしての都市伝説であり、全くの事実無根である。これらの話について、2007年5月1日、スタジオジブリ広報部は公式のブログでこれらを否定している。[6]これらの噂は、ごく最近にインターネット上で流れはじめたものらしく、前述のブログよると、2007年のゴールデンウィークの間に「トトロは死神なのですか?」という電話での問い合わせが複数あったという。

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【宮崎駿シリーズ】『となりのトトロ』は、アニメ映画作品として国民的な人気を得た


『となりのトトロ』は、1988年に公開されたスタジオジブリと徳間書店のアニメ映画作品および同作品のエンディング主題歌(作詞:宮崎駿、作曲:久石譲)の曲名である。高度経済成長によって失われる前に存在した日本の自然の美しさと子供にしか見えない世界の不思議さと怖さとを想像力豊かに描き、観客の郷愁を呼び起こして国民的な人気を得た。

あらすじ

1958年(昭和33年)の(設定上は昭和30年代)日本を舞台にしたファンタジー。田舎へ引っ越してきた草壁一家のサツキ・メイ姉妹と、“もののけ”とよばれる不思議な生き物「トトロ」との交流を描く。


登場人物・物

サツキ(草壁サツキ)(声:日高のり子)
草壁家の長女。11歳の小学生(これに関しては諸説あり、そもそも小学4年生だったものがあまりにしっかりしているので6年生に変更されたとも言われている。表記も揺れている)。親思いで聞き分けがよく、妹の面倒を見たり寝坊する父親に代わって家事をしたりする。好奇心旺盛で元気がいい。名前の由来は皐月(5月)から、
メイ(草壁メイ)(声:坂本千夏)
草壁家の次女。4歳。サツキと同じく親思い。姉・サツキと同じく(それ以上?)好奇心旺盛で、初めて見た中小トトロを追いかけたり、トトロの棲家まで行ったりした。サツキ達の家からはかなり遠い(おばあちゃんによれば大人の足でも3時間かかる)母のいる病院に行こうとして迷子になってしまった。サツキに比べるとわがままで聞き分けが悪いが、年齢相応ともいえる。名前の由来はMay(五月)から、
トトロ(大トトロ、ミミンズク)(声:高木均)
1300歳くらい。森の主であり、この国に太古より住んでいる生き物。子供にしか見る事ができない。すさまじい能力をもっており、まいたばかりの種を一瞬にして木に成長させてしまったり、回転するコマの上に乗って空を飛んだりする。月夜の晩にオカリナを吹いている。なお、トトロという名は「トロール」に由来すると、まだトトロに出会う前にサツキは解釈しているが、実際にはメイに名前を問われたときにトトロが「トートーロー」という叫び声を上げた。
中トトロ(ズク)
600歳くらい。毛は青く、よく木の実が入った袋を持っている。ミンより一回り大きく、胸にはトトロと同じ模様がある。
小トトロ(ミン)
100歳くらい。毛は白い。ズクと一緒に行動することが多い。メイに追いかけられたことがある。手はないように思えるが、木の上でオカリナを吹くシーンでわかるようにちゃんとある。
ネコバス(声:龍田直樹)
超大型のネコのバスで、トトロでさえ乗れてしまうほどの大きさ。爛々と光る眼がヘッドライトとなり、足は12本。風のように高速で走ることができ、また森の中(サツキによれば木がよける)、田んぼの上、電線などでも走ることができる。人間では子供にしか見えないが、犬が吠えている点から動物には見えるらしい。「バス」なので行先表示窓があり、メイが迷子になった時には「めい」、サツキとメイがこっそりお母さんを見舞いに訪ねる際には「七国山病院」と気の利いた行先が表示されるが、一部の字がひっくり返っていたりするのはご愛嬌。
ススワタリ(まっくろくろすけ)
イガ栗のような形をした黒い生き物。古い家をススと埃だらけにしてしまう。空き家だったサツキ達の家に住み着いていたが、一家が住み始めてからは家から去っていった。裏のおばあちゃんも小さい頃は見えたらしいので、子供にしか見えないらしい。なお、このススワタリは、のちのジブリ作品『千と千尋の神隠し』にも登場する。ただし、『となりのトトロ』に出てくるススワタリには手足が生えていない。また、『千と千尋の神隠し』のススワタリは「労働」の代償として湯婆婆が魔法で実体化させているのに対し、『となりのトトロ』の方は昔からこの森に住んでいるだけだという違いもある。
おとうさん(草壁タツオ)(声:糸井重里)
サツキとメイの父。32歳。大学で非常勤講師として考古学を教えている。優しく、おとなしい性格だが、すこしおっちょこちょいで頼りない。お化け屋敷に住むのが小さいときから夢だった。
おかあさん(草壁ヤス子)(声:島本須美)
サツキとメイの母。色白で美人。優しく、おとなしい性格。結核のため七国山病院に入院している。草壁家の田舎への引越しはお母さんの退院後に備えるためでもある。
裏のおばあちゃん(声:北林谷栄)
カンタの祖母。草壁家が引っ越してくるまで家を管理していた。サツキとメイの面倒をよくみてくれる。畑でいろいろな野菜を作っている。
カンタ(大垣勘太)(声:雨笠利幸)
11歳で小学生。サツキのクラスメイト。身長はサツキより少し低い。都会から来たサツキが気になる様子だが素直になれない。引っ越したばかりの草壁一家におはぎを持っていった際、受け取りに来たサツキに、「や〜い、お前んち、お化けや〜しき〜」と発言したことでサツキとの仲は悪くなったが、雨の日に傘を貸すなどして徐々に見直されるように。メイが迷子になったのをきっかけに仲直りした。雨の日に傘を貸したり、メイが行方不明になった時「病院に行ってやる」と言ったり、いいところもある。
カンタの母(声:丸山裕子)
カンタの父(声:広瀬正志)
学校の先生(声:鷲尾真知子)
サツキの担任。草壁家の事情を理解しており、メイが教室にいることを認めた。
草刈りをしている男性(声:千葉繁)
道脇で草を刈っていたおじさん。サツキにメイのことを尋ねられた。
本家のおばあちゃん(声:鈴木れい子)
カンタの親戚。サツキに電話を貸した。サツキのことを「かわいい子じゃね、カンタ」と絶賛している。
トラクターに乗っていた男(声:中村大樹)
若い男性。いきなり飛び出してきたサツキを怒鳴りつけたが、事情を理解すると同情した。
トラクターに乗っていた女(声:水谷優子)
若い女性。「七国山から来たが幼い女の子は見ていない」という重大情報をサツキに提供した。これによってメイが迷子になったことが証明された。
郵便配達人(声:西村智博)
七国山病院からおかあさん(草壁ヤス子)が危篤だという旨の電報をさつきに届ける。あわてたさつきとメイはカンタの案内で本家のおばあちゃんの家へ電話を借りに行った。
バスの車掌(声:平松晶子)
雨の日に、さつきとメイが自宅から最寄りの稲荷前の停留場へおとうさん(草壁タツオ)の傘を持って行ったときに止まったバスに乗車していた車掌さん。残念ながら、おとうさんはこのバスには乗っていなかった。そしてこの後に、ネコバスを待っているトトロと遭遇することになる。
posted by abelu at 13:05| Comment(0) | TrackBack(5) | 宮崎駿 シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

【宮崎 駿】はアニメーション作家・映画監督・漫画家です


宮崎 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、東京都文京区出身(墨田区出身という説もある)のアニメーション作家・映画監督・漫画家。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。

宮崎駿は、親類の経営する「宮崎航空興学」の役員を父親が務めていたことから、太平洋戦争中であっても、何不自由なく幼年時代を過ごした[1]。だが会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。

子供の頃から絵が上手く、手塚治虫や杉浦茂の漫画、特に福島鉄次の絵物語『砂漠の魔王』のファンという漫画少年であった。学校で長兄がボス格であった為、平穏な学校生活を過ごした。高校三年生の時に観た東映動画の『白蛇伝』に感動し、アニメーションにも関心を持つようになる。長兄と同じ大学に進学し、当時は大学に漫画サークルが無かった為、一番近そうな児童文学サークル(児童文化研究会)に所属する。漫画家を志望し、あちこちの雑誌編集部に自作漫画の持ち込みをしたが採用されず、卒業後はアニメーターとして東映動画に入社する。

その後しばらくは漫画家への未練を断ち切れずにいたが、入社一年後に観たソ連製長編アニメ映画『雪の女王』に強い感銘を受け、アニメーションを一生の仕事にしようと決意する。たちまち才能を現してメインスタッフとなると共に、結成間も無い東映動画労働組合の書記長に就任する。激しい組合活動を行いながら高畑勲・大塚康生らと共に『太陽の王子 ホルスの大冒険』を作り上げ、その後も宮崎駿・高畑勲・大塚康生のトリオはさまざまなスタジオで優れた作品を作り続ける。


未来少年コナン以後

動画、原画、場面設計、画面構成、レイアウト等、業界の作画畑を長年に渡って歩んできた宮崎だが、『このままレイアウトを続けるか、アニメから足を洗うか』とまで考える折、本格的演出デビューの話が来る。NHK初のテレビアニメシリーズ『未来少年コナン』である。持ち前の高度な作家性を発揮し、原作を大幅に改変したオリジナルストーリーを展開し好評を得る。通常テレビシリーズでは数人の絵コンテマン・演出家でスケジュールをローテーションさせるが、同作の場合は数回の例外を除いたほぼ全話を演出・作画チェックした。集権的作家的スタイルは、この時すでに出来上がっていた。

その後テレコム・アニメーションフィルムに移籍し、先輩大塚康夫の力添えによって『ルパン三世 カリオストロの城』で映画監督デビュー。同作は業界関係者やコアなアニメファンからは熱狂的に支持されも、SFアニメ全盛の時代に合わず興行的に振るわなかった。宮崎が作家として社会認知を得るまでには至らず、逆に、有り体に言えば干されてしまった。

アメリカに渡り、大塚康生や高畑勲らとともに日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に携わったが、企画への疑問から降板。この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』などの原型となる企画を構想しているが実現には至らなかった。しかしコナンの時より宮崎に注目していた徳間書店の『アニメージュ』誌編集長尾形英夫が、自社イベントの為の特別短編アニメ企画を彼にもちかける。これがのちに『風の谷のナウシカ』として開花する。企画は短編の筈だったが次第に拡大していった為、「原作付き企画」のハクをつけるべく『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。尾形の尽力によって、当時映画事業に意欲的だった徳間書店の徳間康快社長(当時)が劇場アニメ化を決断。宮崎の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプロジェクトが結成され、1984年にアニメ映画として製作・公開される。映画『風の谷のナウシカ』は、『ルパン三世カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟って大ヒットとなり、作家としての宮崎駿が広く認知されることとなった。『鈴木敏夫』はこの時から携わっていた『アニメージュ』編集部員であった。



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